【Netflix】ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンドを観ました。

【Netflix】ボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンドを観ました。

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド(字幕版)

Netflixボブ・マーリー ルーツ・オブ・レジェンドを観ました。

はじめに

NetflixAmazon Prime Videoを見始めた頃に、ウォッチリストに追加しておりました。

言わずと知れたレゲエの神様、ボブ・マーリー

知っているようでよく知らなかったボブ・マーリー

3時間近いドキュメンタリーだったので、中々手が伸びず、ずいぶんかかってしまった。

あらすじ

ジャマイカの山間部にある小さな村、ナイン・マイルで混血という宿命を背負って生まれたボブ・マーリー。

白人からも黒人からも差別を受けるなかで、首都キングストンのゲットーに移り住み、音楽に情熱を燃やすことで逆境に立ち向かっていった。

彼と彼の仲間達による音楽は世界中に広がり、世界のポピュラー音楽界に大きな影響を与えていく。

メジャーデビューや全世界ツアーを経て、ボブ・マーリーはついには世界的なスターとなっていく。

そんな中、ジャマイカで流血の争いを繰り広げていた二大政党の闘争に巻き込まれてボブ・マーリーが狙撃されるという事件が起きる。

ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド(字幕版)より引用


映画『ボブ・マーリー/ルーツ・オブ・レジェンド』予告編

感想

レゲエに出会ったのは、今から20年程前の僕が高校生の頃のことで、当時流行っていたジャパニーズレゲエが僕のレゲエの入り口だった。

そこから本場のレゲエに興味を持ち始め、ショーン・ポールを代表するような激しいダンルホールレゲエやTOKを始めとするミディアムレゲエを好んで聴くようになっていった。

ただ、当時はそういった流行りもののレゲエはよく聴くようになったし、ちょっと古めかしいルーツレゲエも聴いていたのだけど、なぜかボブ・マーリーまで辿り着かなかった。

もちろん当然知ってはいたのだけど、なぜか聴く気になれずにいた。

僕がボブ・マーリーを聴くようになったのはローリン・ヒルの影響が大きい。

レゲエは僕の中で季節もので夏に聴くものとして限定されていた。

普段はHIPHOPR&Bが主流だったので、そちらを好んで聴いていた。

当時は、インターネットの光回線がまだない時代で、ISDNADSLといった回線が主流で回線速度も今より遅く、そして料金も高かった。

そんなこともあり、現代のようにひとり一台のパソコンというわけもなく、一家に一台パソコンがあれば充分と思えるほど、パソコンやインターネットがまだ贅沢品だったのだ。

そんな折、当時付き合っていた彼女が、貯金でパソコンを購入し、一人暮らしの自宅にインターネット回線をひいた。

そこからまさに僕の世界は開いた。

まだ当時はYouTubeなどなかったものの、ちょっとインターネットにアクセスするだけで、楽曲を聴くのはもちろん、PVまで観れるようになってしまった。

今と違ってPVもそんなにしょっちゅう観ることも出来ないので、たまにCD屋やレコード屋で流れているPVをかじりつくように観て、音楽やファッションの影響を受けていた。

それらが全て自宅で可能になってしまったのだから大革命だ。

そのような個人的文化革命の中で、ローリン・ヒルボブ・マーリーの共作とでも言うべきか、ボブ・マーリーをサンプリングしたローリン・ヒルの作品があり、大いにハマった。

今でもよく聴いているほどだ。


BOB MARLEY FEAT LAURYN HILL “Turn your lights down low”

この作品で初めてボブ・マーリーの声に触れることになる。

他にも当時聴いていたWARREN-Gがボブ・マーリーの楽曲をサンプリングしていたのも印象深い。


Warren G – I Shot the Sheriff

そんな経緯もあり、流行りもののレゲエしか知らなかった僕をHIPHOPR&Bがまたレゲエの世界へと誘ってくれたのだ。

さて、今でこそ楽曲があちこちで流れているので、ボブ・マーリーを耳で感じることが出来ても、案外その人間性や彼のヒストリーを知るものは多くないのではないだろうか。

僕もWikipediaの情報を何度も見たのだけど、そもそもこのジャマイカという国とレゲエという音楽、そしてボブ・マーリーの結び付きが強過ぎて片手間で理解することが容易ではない。

それはラスタファリズムという宗教思想とジャマイカの中で渦巻く政治対立などが複雑に絡み合ってしまっているからだ。

僕は宗教や政治を語る言葉をまだ持っていないので、誤解をさけるためにもここでは何も語らない。

ただ、この作品に観るボブ・マーリーという人は、限りなく自由だ。

彼と時を共にしたバンドメンバー、家族や恋人、彼に関わる多くの人がインタビューで登場するのだが、誰一人として彼を悪く言うものはない。

女性に対しても奔放なエピソードがいくつか散見されるが、皆なぜか微笑ましい。

不思議とそこにあるはずの嫉妬心や憎しみ、醜さなどなく、「それが彼だから仕方ない」と笑い飛ばすほどの柔和な雰囲気がある。

楽曲に関しても自由だ。

人の胸をなでおろすような優しい楽曲もあれば、これは闘いなのだと人を鼓舞する楽曲もある。

でもそれらの楽曲が何のために存在しているのかと聞かれれば、やはり自由のためとしか答えようがない。

政治的なことにも音楽と共に向き合っていくのだけど、「これは闘いだ」と鼓舞しながら、最後には手と手を取り合って、平和に、自由に生きていこうと人々を治めてしまう。

まるで映画やドラマのようにフッと現れては周りの人々を巻き込んで、何もなかったように治めてしまう。

ただ音楽だけを通してボブ・マーリーを神様だと崇めてしまうのは少し違和感を感じてしまうが、この作品を観て、微力でも彼に触れることで神様であることの所以を感じた。

勢いでつらつらと書き綴ってしまったが、僕はまだ彼とこの作品を説明するには足りない気がする。

ただ、僕にとって大切な作品のひとつとなった。

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